――― その瞬間、ふっと体の何処かが浮くように感じた。
いつも自分でも感じているはずなのに、今日のそれはいつも以上に。
微かに不思議に思いながらも、有楽町は心の何処かで納得している自分に気付いてもいた。
理由は簡単。隣にいる相手のせいだ。
車両のドアが閉まり、加速するその瞬間。
まるで引き寄せられるように、その慣性に従って。
「何をいちいち蹌踉めいている、情けない」
「……うん、まあ、ちょっとね」
西武池袋が何処か不機嫌そうに呟くのも、尤もだろう。
先ほどから有楽町は車両が発車する度に、少しだけ上半身が傾ぐのだ。それも隣に立つ池袋の方へと向かって。
それはただ単純に慣性に従ったものではあるのだけれど。
それでも少しだけ、重力では無い何かに惹かれているのを否定できない。
池袋の言葉に曖昧に頷いた有楽町は、もう一度前を向いた。
西武池袋線の先頭車両、それも一番先頭のドアに前に立って流れゆく景色を見る。
自分の路線ではないけれど、池袋や東上と接続してからは当たり前のように見る風景だ。
だけど地上の光に溢れたその光景は、何処か眩しくて。
駆け抜ける町並みは、何処か新鮮で。
「――― もっとスピード、出ないかな?」
「ダイヤに組み込まれて走っている以上、規定速度以上出せるわけがないだろう。……お前が見たいというから、わざわざ付き合ってやっているのに、目を開けたまま寝言を言うくらいなら私は戻るぞ」
不機嫌そうなのはいつものことだが、池袋は何処か呆れたような響きすら織り交ぜて有楽町へと答えた。
確かに「一緒に先頭車両に乗らないか?」と言ったのは有楽町だ。
不意に、この風景を見たいと思ったから。
刻々と変わっていく、この車窓の風景を。
走っている以上、戻ることのないこの風景を。
一人ではなく、彼と一緒に。
――― まさか、池袋が了承するとは思わなかったけれど。
「いや、地下じゃないから何か、景色が流れるのが面白くてさ」
苦笑混じりで応じた有楽町へ、池袋は意外な言葉を返してきた。
「お前の地下だってそれなりの変化があるだろう?」
「……よく知ってるな」
地下鉄のトンネルといえども、全てが一様に作られているわけではない。
関心を持って観察すれば、その変化はかなり興味深いものだろう。だが、池袋がそんなことに興味を持っているとは思わなかったのだ。
「何度も言わせるな。自分が関わっている以上、知っていて当然のことだ」
そう言って、池袋は少しだけ口元を綻ばせる。
――― 関わる、という台詞の意味に引っかかったのは、きっと有楽町だけ。
それに特別な意味を持たせたいのは、有楽町だけだろう。
池袋にとって、有楽町が特別な人間なのだと自惚れることなど出来ない。
ただ、側にいただけ。
偶然に、彼の側にいただけ。
彼が少しだけ傾いだときに。
彼にとっては、きっとそれだけ。
何かを、交わしたわけではない。
それは、ただの偶然。
有楽町が演出した偶然。
約束などでは、ないから。
その想いを特別な言葉で告げたわけではない。
だけど、微かに。
何もかも解っているような、そんな笑みを見せるその瞬間に。
何かを期待してしまう自分がいるから。
――― 悪いのは、勝手に期待する自分か。
それとも、期待させる相手なのか。
ただの優しい人、そんな存在でいつまでもいられないのに。
目の前の風景はやがて変わりゆく。
日が沈み、夕闇に包まれて。
その頃には何かが変わるのだろうか。
彼が傾ぐなら、支えるのに。
彼が望むなら、共に行くのに――― 。
そんなことは、出来ないくせに。
そんなことを、望まないと知っているくせに。
そんなことを、望んでいるのは自分だけくせに。
「今度は地下でも紹介しようか?」
「お断りだ」
何の迷いもない池袋の言葉に、有楽町は微かな笑みを返した。
the END
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The first up_date 2010.02.18