――― 何処にいても煩かった。
きっと世界が煩いから、何処に行っても変わりはないだろう。
テレビの音はもちろんのこと、テレビ以外のマスメディアも、乗客たちの雑談も、世界の全てがそれだけのような気になって。
そんな手の届かないものを羨む気にはならないけれど。
羨むつもりもないのだけれど――― 。
世界など関係ない。
大切なのは自分の目の前にある、託されたものだけで充分だから。
支え続けなければならないもの。それを守るだけで充分なはずだから。
「何、ぐたぐたしてんだ?」
他の仲間が見ているテレビから不自然に視線を逸らしたままの西武池袋へ、西武新宿は呆れたように声を掛けた。
「誰がぐたぐたしてるなどと……」
「お前に決まってるだろ。解りやすいんだよ、ホントに」
仕方がないとでも言わんばかりに、新宿は肩を竦める。
「……テレビが煩いだけだ」
「気になるから煩いんだろう?」
言い訳じみた池袋の言葉を、新宿は一蹴した。
「何故、そんな私たちに関係ないことを気にするなどと――― 」
「だから、お前の考えてることなんてバレバレだっての。確かにアメリカの誰かが月に辿り着いたなんてのはオレたちには直接関係ないが、お前みたいにわざと目を逸らすのも違うって話」
――― 数日前、人類は月に到達したのだという。
アメリカが打ち上げた宇宙船は、無事に宇宙飛行士たちを月へと送り届けた。
テレビは飽きもせずに、宇宙服に身を包んだ宇宙飛行士が月面を歩く姿を映し出し、初めて月面に足を下ろした船長の言葉を繰り返す。
"That's one small step for "a" man,one giant leap for mankind."
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
1969.07.21 Neil Alden Armstrong
それはまるで作り物のようなのに、現実なのだと世界は告げる。
「素直に認めればいいだろ? あいつらはオレたちには出来ないことをやり遂げたんだ。そりゃすごいよな、人類初ってやつだ。オレたちには月なんか手が届かないからな」
彼らは確かに人類の歴史を作ったのだ。
月は空にあって、決して自分たちには手が届かない。
それは当たり前、のこと。
だけど、自分たちには関係ないはずなのに。
自分は一体何を気にしているというのだろうか。
「――― この場合、手が届くじゃなくて、足を下ろす、じゃないのか?」
「上手いこと言うな」
テレビの画面から目を逸らして黙り込んでしまった池袋を見かねたのか、西武拝島がさほど面白くなさそうにぽつりと口を挟むと、西武国分寺は感心したように頷いた。
「うるせぇよ、お前ら」
咄嗟にそう文句を言った新宿だったが、池袋の冴えない表情を見てもう一度仕方がないとでも言うような溜息を付く。
「手が届くでも、足を下ろすでも、そんなことはどっちでもいいけどよ、結局はオレたちは自分の手の届く範囲のことをすれば良いだけだろ?」
逸らしていた視線を池袋が静かに上げると、両目を覆うように伸ばされた長い前髪が微かに振れた。
「誰が何処でどんなすごいことをやり遂げたところで、オレたちだって負けちゃいない。確かに、オレたちは月には行けないかも知れない。だけど、例のトンネルでエライ苦労をしたが、もうすぐ秩父に辿り着くんだ。そうだろ?」
池袋の先を秩父へと接ぐために、現在工事が行われている。
それが決して簡単な行程で無かったことなど、仲間なら全員が知っていることだ。
「……お前はいつも強気だな」
「弱気になってどうするよ。もうすぐ顔出しするんじゃないのか、お前の相棒?」
そう言って、新宿は口元ににやりとした笑みを浮かべた。
「ああ、そろそろのはずだ」
「新しいオレたちの仲間だ、歓迎してやろうぜ」
新宿は池袋の肩を思いっきり叩く。
まるで、一歩を踏み出させるかのように。
「……そうだな」
さりげない言葉一つ、さりげない行動一つで、彼らはこの顔を上げさせる。
池袋の上げた視線の先には、小さな箱の中で暗い宇宙に浮かぶ蒼い星が映し出されていた。
「――― 池袋! 月が大きいです」
そう言って、西武有楽町は繋いでいた池袋の手を引いた。
その小さな仲間の視線を追ってみれば、確かに夕闇へと移り変わり始めた地表に近い場所に赤みの強い光を放つ月が見える。
「満月に近いと、ああやって地面に近いところでは月は大きく見えるんだ」
「いつもより赤くも見えますね」
「ああ、大気の屈折の問題らしいが……」
「たいき?」
不思議そうに目を瞬いた西武有楽町に、池袋は微笑みかけた。
「……ああいう月もたまには見られるということだ」
――― 人々の記憶に刻まれた40年前の栄光。
人類は月へ到達したけれど、地上に暮らす人々に大きな変化はなく。
「特別」はいずれ「普遍」へと変わっていくから。
「綺麗ですね、月」
「ああ、もっと遅い時間になって高く上ればもっと綺麗だ。月見にはちょうど良いな」
「はい、秩父も新宿も一杯買い物していたので、楽しみです!」
そう言ってにっこりと微笑む西武有楽町に、池袋も笑みを返した。
「じゃあ、早く帰らねばな。皆、待ってるだろう」
月見をしようと言い出したのは、池袋だった。
特に理由があったわけではない。
ただ、思い起こしたくなっただけ。
この40年間の仲間との軌跡を。
あの時テレビの中に見た蒼い星の上に自分たちがいる、そんな奇蹟を。
the END
参考資料/出典
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/
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The first up_date 2009.10.12