――― そのざわめきに有楽町は振り返った。
場所は池袋駅の南通路。有楽町線の改札があるので良く出入りする場所だ。
東武デパートのメトロポリタンプラザと西武デパートが直線上に並んでいるその通路は、JRの南口改札もあり池袋駅構内でも大きい。
それ故、人の出入りが多いと言える。
地下鉄の駅構内とは違って、地下通路やJR・私鉄の駅構内で快適な空調を求めるのは不可能だ。
直射日光が当たらないだけマシだが、逆に空気の流れは外よりも悪いと言えるだろう。
通路沿いに設けられた店舗から時折冷気が流れ出すが、そんなものは微々たるもの。
各路線の乗客は空調の効いた店を目指して、足早に行き交っている。
そんな中、微かなざわめきが有楽町の耳に届いた。
どうやら、女性客が暑さで倒れたらしい。
思わず駆け寄ろうとした有楽町より先に、青色のコートを纏った西武池袋が女性客へと近いた。
この暑いのに、と思う制服だが、その色合いのせいか、さほど暑苦しく見えない。
いや、着ている人間の所作のせいか。
すっと伸ばした背筋や澄ましたその表情は、暑さなど微塵も感じさせない。
ひとまず安堵の吐息を付いた有楽町が視線を感じて東武側へ振り返ると、地階への階段から東上が顔を覗かせていた。
どうやら、地階の東上線の方にもこの騒ぎが聞こえたらしい。
つなぎの上半身を腰の辺りに巻き付け、上半身はTシャツ一枚。
そう、それがこの真夏に相応しい格好だろう。西武池袋の方が異様なのだ。
空調の効いた地下鉄構内で、シャツとネクタイという自分達の制服を感謝したくなる。
東上は倒れた客に対応する西武池袋の姿を確認すると、微かに不機嫌そうに眉を顰めながらも、微かに安堵したような表情を見せた。
もう一度、有楽町が西武池袋の方を振り返ると、彼は女性客へ何事か話しかけた後、相手の首元と膝へ腕を差し入れ、抱え上げる。
翻る青いコートの裾。
まるで絵に描いたかのような構図。
颯爽として見えるのか、周囲の野次馬が微かにざわめいた。
そして彼は乗客を抱えたまま、辺りをくるりと見渡す。
その瞬間、その行動を見ていた有楽町と目が合ったような気がしたが、彼は何事もなかったように、乗客を空調の効いたJRの窓口へを連れて行った。
確かにそこならば空調も効いているのだろう。しかし
――― 。
気が付くと、いつの間にか階段を下りてきた東上が面白くも無さそうにポツリと呟いた。
「気障なヤツ」
「まあ、乗客が無事ならそれでいいじゃないか」
相変わらずの態度に、有楽町は苦笑を浮かべた。
「でも、自分のところで介抱すれば好感度も上がるだろうに、JRへ連れてくとはな」
「西武バカだが、それ以上に顧客バカなんだろ、アイツは」
「その辺は律儀というか……」
「会長バカってことだろ」
不満げに言葉を継ぐ東上だが、その指摘はなかなか鋭い。
『感謝と奉仕』
それが、社訓。
西武池袋がいつも言うので、いつの間にか有楽町も覚えてしまった。
利益利益という割には、やはり一番はそこなのだろう。
それが、彼の全て。
「あの立ち振る舞いだけを見れば、紳士なんだけどなぁ」
「……悪趣味だな」
「あの電波さえなければ、ってところだろう?」
苦笑で応じた有楽町へ、東上は呆れたような表情で肩を竦める。
そして持っていたミネラルウォーターのボトルを挨拶代わりに軽く振り、東上はさっさと地階の自分の改札へと戻っていった。
野次馬がそれぞれの目的地へと散った頃、西武池袋がJRの窓口から姿を現す。
視線の先で自分の姿を確認しながら素っ気なく背を向けようとしたので、有楽町は思わず声を掛けた。
「ご活躍だったな」
「貴様が何もしなかったからだろう」
「オレが動く前に、お前が対処したんだよ。でも、女性客を姫抱きなんて、役得って感じ?」
そう茶化すように言うと、背を向けて西武側へと歩いていた彼は勢いよく振り返った。
「そんなよこしまなことを考えるわけがないだろう! っていうか、不謹慎だぞ、貴様!」
言葉は強いのだが、その表情は澄ましたものではなく。
いつもならクールに突っぱねるくせに、どうしてこういう状況で照れたりするんだろうか。
笑いが込み上げそうな気配に気付いたのか、西武池袋は不機嫌そうに踵を返した。
――― が、その瞬間、微かに彼の上半身が揺れる。
反射的に彼の二の腕を取って、驚いた。
コート越しに伝わるのは、その体温の高さ。
そうだ、この気候でこの制服が快適なはずがあるわけない。
いくら夏仕様にしていると言っても、限度がある。
空調の効いたデパートの内部ならともかく、駅構内では……。
「お前、ちゃんと水分とか休憩とか取ってんの?」
「貴様に言われる筋合いはない」
そう言って有楽町の手を振り払うが、先ほど女性客を抱え上げたとは思えないほどその動作には力強さがない。
「ここで倒れたら、今度はオレがお前を抱えて西武に乗り込むぞ?」
「……悪趣味だぞ、貴様」
そう言い捨てた背中が、西武の敷地へ入るまで見送った。
――― 悪趣味。
その台詞に、有楽町は微かに笑う。
東上が言ってたのは、西武池袋のことじゃなくて。
彼を紳士だと例えた有楽町のことか。
――― 紳士、ねぇ。
涼しい顔のスタンドプレーだけではなく、黙って見守るのも紳士だろう?
まあ、紳士に振る舞うのも楽ではない。
一人肩を竦めると、有楽町は気温の高さだけではない熱を避けるように、空調の効いた地下鉄構内へと足を向けた。
the END
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The first up_date 2008.08.10