「あ、池袋……」
「断る!」
何気なく声を掛けた有楽町へと、池袋の鋭い否定の言葉が返ってきた。
「……って、お前、オレ、まだ何も言ってないぞ」
「何を言っても無駄だ。絶対にお断りだ!」
ふん、とでも言いたそうな勢いで踵を返すと、池袋は呆然としている有楽町を置き去りに自分のホームへと戻っていった。
「……先輩、一体何して怒らせたんですか? あそこまで感情的なの、あの人達の会長以外じゃあまりないんじゃないですか?」
何処か楽しそうな声色で問い掛けてきたのは、むろん副都心だ。
「いや、怒らせたつもりは全くないんだけど……」
「でも、あれは思いっきり怒ってますよ?」
「だよなぁ」
確かに副都心の言うとおりだ。西武のことや会長のことでテンションが上がるのはデフォルトだが、それ以外ではむしろ喜怒哀楽が解りづらいと言っていいだろう。
そんな池袋があそこまで怒るというのは、やはり相当のことがあったのだと思うのだが。
「で、何を言おうとしたんですか、先輩は」
「いや、寒そうに指先を気にしてたから、手袋しろって言おうと思っただけなんだが」
「……え?」
その言葉だけで、副都心は表情を凍らせる。その態度は芝居じみたものと言うよりは、本心からのもののように見える。
「え?って、何?」
「あ、僕も今、何かイラッときましたよ?」
「は?」
副都心にも心当たりがあるらしい。すると、解らないのは自分だけか?
それも、あれほど池袋を怒らせたという理由を。
「覚えてないんですか?」
「え、ちょっと待て、オレ、何かやってんの?」
「……解りました。僕は小さな有楽町先輩に告げ口してきます」
「え、こら、副都心!」
そう言ってその場を立ち去ろうとする副都心を呼び止めると、懇願とも脅迫とも付かない眼差しで問い掛けた。
「マジで、何やったんだ、オレ」
「昨日、池袋さんと手袋の話をしませんでしたか?」
「手袋……? あ、うん。したけど」
それだけを言うと、副都心はあっさりと背を向けて行ってしまった。
やってられない、とでもいう気配を残して。
確かに、昨日の朝、副都心と一緒にいるときに池袋と手袋の話はした。
日常会話の定石ともなれば、天候の話題が一番だろう。
必要最低限な言葉以外を自分から掛けてこない池袋との会話で、それを持ち出したのは有楽町の方だった。
そろそろ朝は寒くなる。地下鉄とはいえ、池袋や東上との接続もあるし、それなりに外への出入りが多い。
すっかり寒くなったよな、という話題を振りながら、さすがにシャツだけではなくジャケットを着るようにはなったものの、基本的に軽装な有楽町や副都心が何気なくスラックスのポケットに手を入れているのを見咎めて、池袋は不服そうに呟いた。
「みっともないな、その格好は。だから貴様ら地下鉄は軟弱だと言うんだ」
いつもの小言だ。だから、さほど気にせず切り返した。
「お前達みたいにそういう手袋が似合うような制服じゃないからな、しょうがないよ」
池袋が制服に良く似合った白い革の手袋をし始めたのは、つい最近だ。
どうやら今期導入し始めたばかりらしい。
確かに、彼らの仕事場は郊外だ。手袋無しでは相当きついに違いない。
それまでどうしていたのか、有楽町には記憶がないが、恐らく素手でやり通してきたに違いない。
それも、池袋ならばコートのポケットに手を入れることなく。
――― そう、今日の池袋は手袋をしていなかった。
だから、声を掛けようとしたのだ。
だけど、何故、池袋は昨日の今日で手袋をしていないのか。
――― もしかして?
そう思い付いてしまった答えに、有楽町は少しだけ頬が緩むのを感じた。
いや、それは、自分の希望というか。
そうだったら、かなり嬉しいというか。
安易に飛びついたら痛い目に合うだろうその解答に、有楽町は池袋が立ち去ったホームへと駆け出した。
「……池袋!」
遠くから声を掛けると、今度は怒鳴り返す代わりに足早に距離を置こうとするので、思わず有楽町はその後ろ姿へと駆け出す。
そして、逃げ出さないようにとその手を取った。
「ホームを走るな、この馬鹿が!」
今度はそう怒鳴りつけてくるが、有楽町は自分の手の中にある、相手の指先の冷たさに気を取られずにはいられない。
「お前、何で手袋してないの? 昨日までしてただろ、制服のヤツ」
真正面からそう問い掛けられて、池袋はとっさに口籠もったようだ。やはり、嘘を付くということは出来ないらしい。
「貴様らがしていないからだ」
「……うん?」
「貴様らが我慢できて、私に出来ないはずがないだろう」
その理屈は、完全に何処かずれている。
地下よりも郊外の方が寒いに決まっているじゃないか。
「何か間違ってるような気がするけど。……それはオレを気遣ってくれてるわけ?」
その言葉に、手を振り払おうとする気配を感じたので、今度は両手で握り締めた。
「その手を離せ!」
――― 本当に、コイツは。
どうして、こんなにも素直じゃないクセに、こんなにも解りやすいだろうか。
思わず、その手を口元へ寄せて呟いた。
「いやだよ。だって、お前の手が冷たいじゃないか」
瞬間、握り締めた相手の指先が、微かに暖かくなったような気がした。
the END
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The first up_date 2009.02.22