西武池袋から宴会をするぞ、と声を掛けられた有楽町は確実に数秒ほど思考を停止させた。
少なくとも年末だから忘年会、何てことを言うような池袋じゃない。それこそ、短くもない付き合いでよく解っている。
「――― 何でいきなり宴会なんて?」
「今年はいろいろあったからな。たまにはいいだろう。貴様と副都心はゲストだ」
そりゃ、いろいろあったことは確かだが。
池袋としては、自分たちの球団が日本一になったことが一番だろう。
だが、それならはっきり言うはずだし、何より自分たちが招かれる理由にはならないように思うのだが。
「ゲスト……って」
「会費無し」
「でも、二人分じゃ悪いだろう?」
さすがに済まさなそうに問い掛ける有楽町に、池袋はあっさりと言葉を継いだ。
「大袈裟にやる訳じゃない。西武の休憩室でうちのメンバーとお前たち、準備もデパ地下の買い出しで済ませるだけだ」
「でもやっぱりタダって訳には……」
「――― なら、奉仕でもしてもらおうか」
何処か警戒を隠せないまま言葉を返す有楽町へ、池袋は人の悪い笑みを浮かべてそう言う。
「え、奉仕って?」
「それは後でのお楽しみだ。で、どうする、来るのか、来ないのか?」
「え、そりゃは招かれるんなら行くよ。副都心にも聞いてみるけど、多分――― 」
「勿論、お招きに預かりますよ」
いつの間に現れたのか、有楽町の言葉を遮るように、背後から当の本人である副都心の声が掛かる。
「よし。では、早速お前たちに一つ頼みがある」
そう言いながら、池袋は有楽町へと西武デパートのロゴが入った紙袋を差し出した。
「……は?」
池袋から手渡された紙袋を持った副都心は、池袋駅構内の南通路を歩きながら、納得しかねるといった表情で呟いた。
「それにしても、どうして自分で誘わないんでしょうね、池袋さんは」
「誘ったって来るわけ無いだろう、東上が西武主催の宴会になんて」
「なら、最初から誘わなければいいじゃないですか」
副都心の疑問はもっともだ。
池袋は有楽町たちへ、犬猿の仲と言われる東上に誘いの言葉を掛けてこいと指示を出した。
それも、断られたときのための、決して軽くはない手みやげまでも持たされて。
どう考えても、断られることを前提としているようにしか思えないのだが。
「――― 何でおれが?」
案の定、東上は不機嫌そうな表情を隠そうともせず、有楽町経由の池袋の招待を聞き流した。
「それはオレも聞きたいよ。……で、行くか?」
「西武の宴会なんて行けるか」
「そう言うだろうとは思ったけどさ。で、断られたらこれを渡せって言われたんだけど」
有楽町の言葉に、副都心が手にしていた紙袋を差し出すと、東上は不機嫌そうな表情を深めたものの、素直にそれを受け取り、中身をのぞき込む。
そして、意外にも仕方がないとでも言いたそうな吐息をついて呟いた。
「……貰えるもんは貰っとく。別に頼んだ訳じゃないから、礼は言わないぞ」
「ああ、伝えておくよ」
「……礼は言わないって言っただろうが」
面白くもなさそうに踵を返したが、それでも礼を言うかのごとく、東上は受け取った紙袋を軽く肩口まで持ち上げて立ち去った。
「――― 先輩、あの紙袋の中身、見ましたか?」
「いや、仮にも人の使いでそんなこと……って、お前、覗いたのか?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。たまたま偶然に見えただけです」
嘘だとは思ったが、有楽町だとて中身が気にならないと言えば、これもまた嘘になる。
「で、何だったんだ?」
「……米と味噌と醤油。勿論、すべて西武のデパ地下で売られているものでした」
その答えに、有楽町は小さく吹き出した。
東上への差し入れならば、それが一番妥当な選択かも知れない。へたな菓子などは贅沢品として必要以上の嫌みと取られるかも知れない。
いくらあってもかまわない、それも日常使いに、といったら、それ以上のものはないだろう。
「どこが仲が悪いんですかね? あんなに適切にお互いを把握してる人たちってそうそういませんよ」
呆れたように肩を竦めた副都心に、有楽町も同意するように頷いた。
「全くだ」
大袈裟にやる訳じゃない、と池袋は言ったが、広くもない休憩室に並べられたデパ地下の総菜は、なかなかに壮観なものだった。
あからさまに残り物だという感じはしないし、何より、デパートの地下に出店する店舗のものだ。
舌が肥えているわけではないが、有楽町にはやはりコンビニとは違う……ようには感じられた。
西武のメンバーは池袋を筆頭に、西武有楽町、秩父、新宿、拝島、国分寺という、いつものメンバー。それに有楽町と副都心。
通常ならば、西武の集団の中に身を置くのは相当居心地悪く感じるだろうが、アルコールが入っているせいか、西武の連中も意外と友好的――― とまではいかなくとも、邪険に扱われずに済んでいた。
仕事上、顔を合わせることが多く、比較的西武としては付き合いやすい西武秩父に至っては、有楽町と副都心のグラスをカラにしないようにビールをつぎ足しに来る気の使いようだ。
そして、招待主であるはずの池袋はというと、意外にも壁際に椅子を置き、西武有楽町を膝に乗せて物静かに座っていた。
盛り上がる室内を、日頃見かけないほどに穏やかな笑みを浮かべながら眺めている。
ご機嫌はご機嫌なのだろうが、もしかしたらすでに酔っているのかも知れない。
静かに座っているとはいっても、やはりグラスが空にならないうちに、誰かしらが順繰りにビールを注いでいるようではあったから。
しばらくして、池袋の膝から降りて食べ物を取りにやってきた西武有楽町の顔が真っ赤になっていることに、有楽町は気づいた。
「……西武有楽町、もしかして酒を飲まされた?」
「そんなことはないぞ。池袋が許さないからな」
「でも、顔、真っ赤だよ?」
有楽町が頬の辺りを指さしながら問い掛けると、彼は一段と赤くなって、視線を逸らすように俯いた。
「いつも、池袋はああやってそばにいないから……」
――― なるほど。
いつもどちらかといえば西武有楽町が池袋にしがみついてばかりだが、今日に限っては、池袋の方が西武有楽町を側から放さないようにも見えた。
他のメンバーが西武有楽町に酒を飲まさないように、保護しているというところなのかも知れない。
どちらにせよ、西武有楽町を膝に乗せているその姿は微笑ましいものではあるに違いないのだが。
食べ物を手にした西武有楽町と一緒に池袋の元へ行こうとした有楽町は、ふと誰かの気配を感じ、足を止めて視線を上げた。
その視線の先で、にこやかな笑みを有楽町に向けているのは拝島だ。片手には先ほどまで手にしていたビール瓶とは違う瓶が握られている。
日頃から拝島には快く思われてはいないだろう、と自覚しているので、有楽町はとっさに拝島との間に西武有楽町を挟むかのように位置を変えた。
西武有楽町を盾にしてるも同然だが、これは西武のメンバーには有効な手段に違いない。
事実、拝島は有楽町の行動に憮然とした表情を見せると、近くにいた秩父の肩を叩き、何事かを呟く。
すると秩父は、拝島と同じ瓶の先端を親指で押さえて大きく上下に振りながら、紙皿を片手に残り少なくなってきたテーブルの上の料理を取っていた副都心へと声を掛けた。
「――― 副都心!」
素直に顔を上げた副都心へと、先ほどまで振っていた瓶の先端を向けて、親指を放す。
「開業おめでとう!」
副都心は半ば呆然と、勢いよく放たれた泡の洗礼を受けた。かと思えば、背後に回った拝島からも同じ攻撃が仕掛けられる。
その光景に、新宿や国分寺も黙って見ていられるか、とばかりに、次々に参戦し始めた。
シャンパンらしき泡の洗礼を受ける後輩を、有楽町はほぼ呆然と外野から見守るだけしか出来ない。
「何だ、貴様は免れたのか」
くすくすとした微かな笑い声を含ませて、池袋がそう声を掛けて来た。
確かに、偶然にも西武有楽町を盾にして事なきを得た有楽町だが、恐らく元々の予定では一緒に「祝われる」はずだったのだろう。
「――― オレたちを招いたのって、これが目的?」
「言ったろう、いろいろあったから、とな」
確かに、半年も前の開業ネタなど今更なのだが。
彼らとしたら、意外と本気なのかも知れない。
やっと落ち着いて本来の業務をこなせるようになったからこそ……?と、有楽町は思いかけたのだが。
副都心を中心としたシャンパン騒ぎは、いつの間にか西武ライオンズ優勝おめでとう!のかけ声に変わっていた。
――― もしかしたら、単純に騒ぎたいだけなのかも知れない。
有楽町は苦笑とともに、肩を竦めて見せた。
「副都心はあれが参加費の代わりだが、貴様はうまいこと逃げてしまったからな。ここの片付けということで手を打つか。それとも、今からでもあっちに混ざるか?」
「さすがにああなると解ってて、今更参戦したくはないな。いいよ、片付けで」
いつになく上機嫌な池袋の機嫌を損ねたくもないし、とは、言わないでおく。
「――― 大歓迎だったな」
騒ぎが一段落したところを見計らって、有楽町はずぶ濡れになった副都心へと声を掛けた。
「酷いですよ、先輩だけうまく逃げるんですから」
「お前の開業祝いだ、お前が受けないでどうする」
そう答えると、副都心としても本気で怒る気になれないのか、それ以上の文句を言おうとはしない。
「……とりあえず、もうお開きでしょうし、僕はもう帰りますよ。こんなシャンパンまみれで……」
自分のシャツの襟をつまみ上げた副都心は、そう言いかけて、ふと言葉を途切らせる。
「どうした?」
「いえ……。それじゃ、先輩、後始末はよろしくお願いします」
少しだけ怪訝そうな表情を浮かべたものの、副都心はそう言って先に会場を出た。
すると、騒ぐ名目が無くなったからか、西武のメンバーもお開きモードになったようだ。
そこそこ酔っている様子の新宿と国分寺へと、拝島と秩父が肩を貸している。
「片付け要員はいるから、先に戻っていていいぞ」
池袋がそう声を掛けると、秩父は後はよろしくと言わんばかりに手を振り、拝島は一瞬だけ有楽町を見たが、結局何も言わずに立ち去ってしまった。
拝島はいつもそうだ。まるで釘でも刺すかのような、そんな視線を向けてくる。
何が言いたいのかは……恐らく、有楽町も正しく理解しているだろう。
会場に残されたのは、有楽町と池袋、そして池袋の隣の席で軽い寝息を立てている西武有楽町だ。
――― とりあえず、約束通り片付けぐらいは参加費代わりにやっておこう。
そう思ったものの、あれだけ盛り上がった割には、さほど散らかってはいない。テーブルの上に残されているのは、すでにカラになった紙皿や空き缶、空き瓶にグラスだけ。
それに何故かイチゴだけが乗せられた一皿。
有楽町がそれを不思議に思いながらも、空いた紙皿をゴミ袋へ入れ始めたとき、ひやりとした夜気が部屋に舞い込んできた。
驚いて振り返ると、池袋が窓を開けて外から何かを持ち込んている。
「……まだ隠し持ってたのか、お前?」
池袋が手にしていたのは、二本のシャンパンとグラス。確かに、この時期の野外は天然の冷蔵庫代わりになるだろうが、一体いつの間に仕込んだのか。
「テーブルの上を少し片付けろ」
やはり機嫌がいい様子で、池袋は楽しげな笑みを浮かべてそう言った。素直に有楽町がテーブルの上を片付けると、池袋は二つのグラスを置く。
「意外と大人しかったな、お前。もっとほかの奴らと一緒に喜ぶかと思ったのに」
「喜んでるぞ?」
不思議そうに首を傾げてみせる池袋に、有楽町は苦笑を返した。
「いや、それは解るけどさ、もっとみんなと一緒に大騒ぎでもするのかと思ったから」
「……あいつらが楽しくやっている姿を見れるだけで十分だ」
微かに目を伏せて見せる笑みに、何の意味があるのか――― 無いのか。
さらに問い掛けようとした有楽町は、少し怪しげな手つきでシャンパンの栓を抜こうとしている池袋からさりげなくボトルを奪い取った。
「しかし、勿体なかったな。さっき、ずいぶんと撒いてただろ、このシャンパン」
コルクを押さえ、瓶の底を回しながら有楽町がそう呟くと、池袋はくすりと笑い声を洩らす。
「その辺りはちゃんとわきまえている。さっきまき散らしたのはノンアルコールだ」
「え? 酒抜きで盛り上がったの、あいつら?」
「その前までに十分飲んでるだろう? 貴様らもな」
そう言いながら、池袋はテーブルの上に残されたイチゴをつまみ上げた。
「……それは本物だ」
イチゴを口に運びながら、くすくすと笑みを洩らす池袋など、滅多にお目にかかれるものではない。
――― やはり、これは相当ご機嫌なんだな。
グラスにシャンパンを注ぎながら、有楽町もそれなりに楽しい気分にならざるを得ない。
だが、それで先ほどの副都心の怪訝そうな表情の意味がやっと解った。
シャンパンを掛けられたはずなのに、アルコールの香りがしなかったのだから不思議に思ったのだろう。
池袋はテーブルの側へ椅子を二つ持ってきて、片方へと腰を下ろし、グラスに注ぎ込まれるシャンパンへ顔を寄せた。
淡い黄金色の液体。立ち上る一筋の泡。
両手を置き、その上に軽く顎を乗せるものだから、彼の長い前髪がテーブルの上にふわりと広がる。
そして、有楽町を見上げるようにして、池袋は自慢げに呟いた。
「知っているか、こうやって泡を立てるには、グラスに少しだけ傷がついていないと駄目なんだそうだ」
屈んだ姿勢から見上げるようにするものだから、いつになく甘えられているような気分になる。
有楽町は少し視線を逸らして、言葉を継いだ。
「……今年はお前たちにとっていい年だったな。野球、日本一だもんな」
隣に並べられた椅子に腰を下ろす有楽町へ、池袋は不服そうに呟いた。
「アジアでも一番だぞ?」
「あ、うん、そうだったな」
「それに……」
池袋は有楽町の気を惹くように一度言葉を切って、もう一度微笑む。
「仲間が増えただろう?」
「……あいつを仲間だと言ってくれるのか? あんなに迷惑掛けたのに」
「最初から何もかもがうまくいくわけが無かろう」
日頃の態度からすると、ずいぶんと柔らかい。
物わかりが良すぎるのも、うれしいような、少し複雑のような気もするけれど。
いつもでは決してお目にかかれないような笑み。
シャンパンのリズミカルで緩やかな気泡。
それだけで――― 酔ってしまいそうだ。
池袋の方は恐らく酔っているのだろう。
そうでなければ、こんなしどけない子供じみた仕草を見せるはずもない。
――― だから、これはシャンパンのせい。
そう、言い訳のように自分へと呟いて、有楽町が池袋のテーブルの上に広がる前髪に触れようと手を伸ばした瞬間、池袋の視線がふと逸れた。
その先には、身じろぎする西武有楽町の姿。
「――― 起きたか、西武有楽町」
身を起こし、眠そうに両目を手でこする西武有楽町を、池袋は再び自分の膝の上へと招き寄せた。
「……イチゴ、食べるだろう? みんな、お前が好きだろうからってとっておいてくれたんだぞ」
まるで親鳥のように、腕の中に抱えた西武有楽町へイチゴを差し出してやる。
――― まあ、こんなオチだよなぁ。
有楽町がそんな苦笑混じりのため息をついたその口元へ、椅子に座ったままの池袋がイチゴを放り込んだ。
「甘いだろう? まだたくさんあるからな、これを片付けるのも、お前の仕事だぞ」
まるで西武有楽町と同じ子供扱いだが。
「うん、甘いな」
――― 少し冷たいけど、とても甘くて。
まだ眠そうな表情を浮かべながらも、イチゴをほう張る西武有楽町の頬を撫で、有楽町は笑った。
途切れることなく泡を立ち上らせるグラスを掲げて、少しだけ揺らす。
このまま、西武有楽町に少しだけ飲ませて眠らせてしまおうか。
――― なんて言ったら、きっと池袋に怒られてしまうに違いない。
それでも、そんな戯れもないことを考えてみることぐらいは、有楽町の自由。
奉仕に対する報酬としては、それぐらいなら安いものだろう。
/the END?/→「02_Celebration!_Replay」
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The first up_date 2009.02.22